あなたが笑った顔が、この子に遅れて映るんだ。

あなたが笑った顔が、この子に遅れて映るんだ。

鏡、みてます?

いや、いきなり何を言っているのかって話ですが、みなさん鏡、みていますか?
私ね、本当にたまぁにしかみなくって。

先日朝ランニング(という名のお散歩)に出てさ、
道ゆくおじいちゃんおばあちゃんとか、
ランニングしているお兄さんとか、
犬の散歩しているおじさんとか

「おはようございま〜す!」

なんて軽快に挨拶してね、

「あー今日もいい日だ!」

なんて家に帰って、手を洗って、消毒して
コーヒー淹れて、ゆっくり飲んで

あ、髭剃り忘れてた・・・!

なんて思って洗面所に行って、初めて気がついたよね。

ボンバーヘッド!

MCATもびっくりのボンバーヘッド。
この寝癖頭で爽やかに挨拶していたのか私は!!

鏡は見なきゃいかんよね。参った参った。

というわけで、こんばんは。にっしーです。

「子は親の鏡」っていうじゃない?

あれ?

「親は子の鏡」だっけ?

これさ、どっちも正しいよなぁって思うんだよね。

「親は子の鏡」ってのはさ、つまり「子供の手本たれ」ってことだよね。
子どもに育って欲しいように自分が生きなさいってことだもんね。

ガッチガチに子どもを縛る親っているじゃない。
で、そんな親にね、「どんな子に育って欲しいですか?」って聞くと
「自分の足で歩ける子に」とか言うの。

そんなん無理じゃない。縛られたまま歩けってさぁ、捕虜か!
だから「自分の足で歩ける子に」育てたかったら、
親が自分の足で歩くしかないんだよ。

んで、子どもには自分の足で歩かせるの。手を離してね。
あ、でも目は離さないであげてね。遠くからそっと見守って。

そしてね、「子は親の鏡」なんだよね。

子どもを見ていると、今まで自分がどうやって子どもに接してきたかわかる。
なんだかんだ言って子どもは影響を受けているからね。

不登校の子どもって、癇癪起こすことがあるんだ。
ずーっと家にいるからストレスが溜まっているのか
プレッシャーと闘っているストレスなのか
それとも親に甘えているのか

きっとそのどれもなんだけれども、うちの子も時々癇癪を起こすのね。

その怒り方がさ、なんとも何とも見たことがあるわけです。

あ、これ、以前の私だ

とか

あ、これ、妻のやつだ

とか。

もちろん本人は真似している意識はないんだろうけれど、
随分前に、私が強く叱ったものが、今のこの子に移ったのだろうか。

そんな風に感じることがあるんだよ。

ある時ね、ママにものすごい勢いで怒った娘に聞いてみたんだ。

「ねぇねぇ。君は、ママをやっつけたかったのかい?」

「やっつけたいとかじゃないんだよ。でも、自分の間違いを認めないのが嫌なの。私を嫌な気持ちにさせたことは事実なのに、絶対に自分の間違いを認めないから、認めるまで責めたくなる。」

「ごめんねが欲しかった?」

「うん。それがあればスッキリしたと思う。」

その瞬間、思い出した。

彼女が小さい時に自分がした指導を。

彼女が謝るまで叱り続けた自分を。

あぁ、これは、俺か。

自分が正しい!と娘を叱りつけた、俺か。

「どうして謝れないんだ」と執拗にせめた、未熟な父親の姿だな。

子は鏡だ。何年も遅れて映る鏡だよ。

「ごめんなぁ。今思い出しちゃったよ。パパもそうやって、君を叱ったことがあった。
悪いことをしたことに気がついて欲しくって、強く叱ったことあったよね。」

「そうだっけ?」

「うん。でもね、正しい側が正しいとは限らないんだ。正しさゆえに相手を傷つけちゃうこともあるんだよね。きっとパパも娘ちゃんを傷つけたんだと思う。だからごめんね。ママもきっと傷ついたと思う。自分が正しいと思って相手を責めている時は、ちょっとだけ気をつけたらいいよ。傷ついている相手に気がつけなくなるからさ。」

「・・・」

子は鏡なんだなって実感したんだよ。


親が笑顔で子どもを受け入れていると、
子どもは数年遅れていい笑顔を見せてくれるの。

親が厳しく子どもを責めていると、子どもは数年遅れて親を責め始める。
それを世の中では反抗期っていうのかもな。

遅れて映る鏡だから、気がつきにくいけれど、
ちゃんと映るから気をつけよう。

せっかく映すならさ、いい笑顔がいいよね。
だからできるだけ笑っていようぜ。親もさ。

僕らの笑った顔がさぁ、きっと遅れて映るんだよ。

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