目の前の問題が一瞬にして消える方法

目の前の問題が一瞬にして消える方法

「早く寝なさい」

あの頃はこの言葉に縛られていたなぁって思う。我が家の妻はマイペース。
時間を気にして動くのは得意じゃなくって、自分の時間を自分のペースで過ごす人だ。
そんなところも彼女の可愛いところなんだけれど。

思えば初めてのデートで15分も遅刻してきた彼女だ。
2回目のデートなんて40分遅れてきたぞ。よく待っていたな俺。えらいぞ、俺。
だからね、家族は彼女ののんびり時間をベースに動いている。

我が家の子どもたちもマイペース。時間に縛られるのは好きじゃなくって、今目の前のことに夢中だ。

まさにアンチェイン。我が家のビスケット・オリバたちだ。知らない人ごめんなさい。

つまり我が家の時計は「我が家の外の世界のために」ある。誰かとの待ち合わせの時や、飛行機の時間のためにある。仕事の世界に生きている父親としては、気にならないわけではないけれど、それでも我が家に流れる時間は嫌いじゃない。

そんな家族たちだから、あったりまえのことだけど、どうしても寝るのが遅くなる。子どもたちの就寝時間は、気がついたら22時を回ることもザラだ。これが以前は嫌だった。だって小さな子どもは早く寝たほうがいいって思っていたし、周りの家の子どもはもっと早く眠っていたからさ。

時間に合わせて動かない妻にイライラしたし、一人で子どもを寝せるためにあっちに声かけ、こっちに声かけ動くのも疲れ切っていた。

ほんの数年前だけれど、あの頃はよく妻と喧嘩したなぁって思う。

でもね、ある時、気がついた。

ちょっとくらい寝るのが遅くなるよりも、喧嘩しているほうが子どもにも悪いし、
家族にも悪いぞ

って。

てか、1日15分しか寝ないキリンが元気なんだから、
多少の睡眠不足くらいなんてことないんじゃないか!?

って。

そう考えたら、一気に気持ちが楽になった。

なかなか寝ない子どもたちにイライラしなくなったし、妻へのイライラも無くなった。

「早く寝なさい!」が、我が家から消えた。我が家に平和が訪れた。

子どもは変わっていない。妻は変わっていない。私の意識が変わっただけなのに、問題が目の前から消えて無くなったの。すごくない?

(どうしても自分が寝たい時は「パパは早く寝たい!」といっている。「寝なさい」よりうんといい。余談だが、私のあまりの変化に、今度は妻が「早く寝なさい」を言い始めた。難しいものだ。)

こんなもんなんだなきっと。
子どもの問題は、親が作っているんだ。「早く寝なければいけない」ことを親が決めたから、寝ないことは問題になる。親が意識を変えただけで、そこにあった問題はなくなるんだ。

不登校だって同じだよね。「学校は行くものだ」って親が決めれば、不登校は大問題。でもね、「学校は通ってもいいし、他にも学ぶ道はある」って親が決めたら、不登校なんて何の問題でもない。選択肢の1つに過ぎないんだ。ニコニコしている不登校児と、悲しい顔の登校児ならどっちがいいか決められる?私なら子どもにはニコニコ成長してもらいたいよ。やっぱり問題を決めているのは親だ。

好き嫌いだってそう。「好き嫌いはしちゃいけません!」って決めたのは誰?子どもの嫌いを問題にしているのは誰だろう?好き嫌いなんてどんな子どもも持っているものだぜ。当たり前のことだよ。

ゲームをすることが問題なの?それを問題にしているのは大人じゃないかな?ゲームだってちゃんと楽しいし、学びもあるよ。プロプレーヤーだっている。eスポーツって知ってる?

宿題をやらなきゃダメって誰が決めたの?あ、先生か。宿題をやったほうが学力が伸びる理由は?宿題を出さないフィンランドが世界一の理由は?私は宿題を出さないけれど、私の教える生徒たちの学力は決して低くないよ。これは自信を持って言える。ほら、考え方を変えたらダメかどうかなんてわからないよね。

YouTubeにハマっている娘が、YouTubeを見て工作や手芸を始めた。YouTubeにハマっている息子がHuman Beetboxの練習を熱心にやり始めた。いやぁ親には与えられない刺激だよなぁって思うし、自分でやりたいことを見つけるきっかけになっているなぁとも思う。YouTubeだって悪くない。俺も真似してボイパしてみたら、唾が飛んで嫌な顔をされた。うん。難しいな。

子どもはね、近くにいる大人のルールで生きるしかないんだよね。子どもの「問題行動」の大半は、大人がつくっているって考えたらさ、それが問題行動なのかどうかさえ怪しくなってこない?

何を問題にするのかは、ちゃんと考えて決めたほうがいい。叱りつける数は少ないほうがいいんだから。

私の場合は・・・

「楽しんで自分や他人を傷つけない」

「他者のものは盗まない」

「人の頑張りを笑わない」

この辺りは「問題」だと思っている。ここはちゃんと叱る。怒鳴らずに叱る。どんなに面倒くさいと言われても、ここがブレちゃいけないよ。

でもね、大半のことは大丈夫。

姉弟喧嘩もするけれど、ほとんど全部姉弟で解決する。親が口を出す必要はない。
子どもたちは片付けも苦手だけれど、そんなのは俺も同じ。「一緒にやろうぜ!手伝うよ。」って言えばいやいやでも片付ける。「片付けなさい!」は完全に無視だけどね。ほら、親のあり方次第なんだ。

あり方を変えれば、親のストレスも減るよ。

あり方を変えれば、子どもは子どもなりに真っ直ぐ育つよ。

全ての子どもは違う子どもで、違う育ち方をするようにできている。
自分がどんな「子ども」として生まれるかは子どもには選べないんだよな。だって生まれつきなんだもん。人は生まれた時から公平じゃないんだ。でもね、どんなふうに育つか、何を大切にするかはそれぞれが自分で選んでいいはずだ。そして、どんな「子ども」に生まれても、自分のことを気に入っていられれるのが一番いい。そうじゃない?

子どものありのままを受け入れて、小さなことを問題にしない。

そうしたら子どもはちゃんと自分の花を咲かせるよ。

大人としてさ、そう信じてあげたいなぁって思うんだ。この子が咲かせる花を、親が決めることはできないんだから。

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