勝ち負けを一度捨てよう。「聞く耳」はそこから生まれるんだ。

勝ち負けを一度捨てよう。「聞く耳」はそこから生まれるんだ。

子どもの言うことにイラッと来ることありません?

なんて理不尽に私を責めるんだ!って感じませんか?

そして、その度に「負けまい!」と戦っていませんか?

その戦い、勝ちきれてます?事態は好転していますか?

泥沼に・・・ハマっていませんか?

不機嫌な子どもと対峙するのって疲れるよね。

正義と悪の戦いならば、相手を倒せば終わりなんだけど、
正義と正義の戦いに終わりはないんだ。

だって子ども、悪じゃないよね?倒したら世界が平和になる相手じゃないでしょ?子どもが倒れちゃったら、嫌じゃん。だから、戦いに意味はないんだよ。

でも親と子どもの言い合いに決着はつかない。ひたすら戦っちゃうの。

「お互いに負けたくない」からなんだよね。

子どもは上手に喋れません。

言葉を間違えます。

だから時に大人をイラつかせるし、暴言も飛び出します。

それでも、それでもだよ。どんな子どもも最終的に言いたいことは同じなんだよ。

私のことをわかってほしい

これだけなんだ。

「私のいいたいことをわかって」

「私の思いを理解して」

「私のことを、もっとみて」

それが通らない時に戦うんだよ。
親の都合で、「私」の思いを無視して指導された時に反抗するし、自分を理解してもらえないと思う恐怖心から強い言葉が飛び出すんだ。
冷静に話しても伝わらないと思うから、無視するし、感情的になるんだよ。

だからね、どんな指導をしたいときも

どんなに相手を叱りたいときも

すぐに命の危険があるとき以外は

まずは「共感」から始めよう。

「そう考えていたんだね。わかるよ。」

「そういうことだったんだね。わかったよ。」

「そういいたかったんだね。わかったよ。」

そこから始めてみませんか?

共感してくれた相手に暴言は吐きにくいものです。
「共感」相手に怒りの感情を持つことは難しいの。

勝ち負けよりもまずは共感だよ。

どんなに納得いかなくても。

どんなに子どもの言うことが幼くても。拙くても。

まずは共感。

「そうだったんだね。」
「そう考えていたんだね。」
「そう言いたかったんだね。」

で、「わかるよ。」「わかったよ。」

そうやって子どもの言い分をちゃんと聞きましょう。
ぜーんぶ聞いた上で、

本当に改善すべき問題点があれば(命の危険や他者への攻撃)
ちゃんと理由と根拠を伝えましょう。

「最終的に叩いてしまったのはいけないことだよ。どうしてかと言うと、人は誰でも、暴力を振るわれない権利を持っているんだ。権利ってわかる?殴られたり、叩かれたりしたら痛いじゃない?痛い目に遭うって思うと、言いたいことも言えなくなるし、幸せに生きることができなくなる。殴るのも、叩くのも、簡単にできるから、みんなで『殴ったり叩いたりはしないようにしよう』って決めたんだよ。それはね、誰もが守らなきゃならないんだ。みんなが痛い目に合わないために。そこだけは守って欲しいんだよ。」

ちょっとくどいかな。
でもね、理由なき指導は通らないです。

本質がズレると、ただの言い合いになるし、大事なことは伝わらない。

共感した上で、真剣に理由を伝えるの。すぐに変わらなくてもね。

ただ、間違えちゃいけないのは・・・

「大人の都合で叱っている」のはすぐに伝わるってこと

「早くしなさい!(私が困るのよ)」

「そんなところでわがまま言わないの!(私が恥ずかしいでしょ?)」

「片付けしなさい!(散らかっているのは私が嫌)」

「その言い方は何なの!(傷つくじゃない)」

そう言う時は、自分の想いを伝えるだけでいいです。
いわゆる「アイメッセージ」。

「今日は遅れるわけにいかいからお母さん焦っているんだ。」

「今の言い方は、お母さん悲しかったな。」

「リビングが散らかっていると、落ち着けないんだよね。」

その上で、「お願い」か「提案」か「お誘い」をしてみてください。

「あと5分で出たいんだ。お願い!できる?」

「こんな言い方があるから、よかったら使ってみない?」

「一緒に片付け、しようか。」

叱ることも大切。でも何を叱っているのか、どうして叱っているのかは大切にしよう。
大人の考え方ひとつで、叱る回数は減らせるよ。

そして大事なことはちゃんと真剣に伝えよう。

全ては・・・共感の後で。

聞く耳は、共感の後にしか生まれないからね!

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