学校にはまだまだ希望がある。必要なのはお金と人と、愛です。

学校に通っていた時間は無駄だった!

と侍のように強く堂々と叫ぶ我が子ですが、

私は元教員です。

みなさんこんにちは。にっしーです。

娘が無駄だと感じるのは娘の自由だし、そのお陰で「学校外に学校よりすごい学びの場を作ってやるぜ!ブイブイブイ!」って燃えている父親でもあるんだけれど、別に私自身は学校に絶望しているわけでもないし、学校ができることはまだまだあると思っているんです。

学校いいぜ!楽しいぜ!最高だぜ!

って沢山の子どもたちが思ってくれるように日々頑張ってきたつもりです。

なんか最近、学校を叩く風潮が加速している気がしていて、その度にモヤモヤしちゃう自分がいます。モヤモヤモヤモヤモヤ。

「校則が厳しすぎる」「昭和から変わっていない」「ひどい先生がいる」「子どもを理解してもらえない」「そもそも授業がつまらない」そして、「だから不登校が増える」。

もっと言うと「だから就職ができない」とか「だから仕事をすぐ辞める」とかなんにでもつながってくる。

そうだよなぁ。教育って国の根幹を支える場所だからね。厳しい目が入るのはよくわかる。誰もが通り過ぎる場所だし、誰もが苦い思いを多かれ少なかれしているからね。どんな問題提起にも「あるある。私もそうだった。」って思えるしね。そして、残念なことに、残念な先生方も、いる。これは事実。

でも、私が出会って来た沢山の先生方はさ、現場で燃えていたよ。

あ、もちろんそうじゃない人もいたけれど。病休で休んだ先生がパチンコ屋でブイブイ言わせてたりしたけどさ。保護者から連絡きたりね

「うちの担任の◯◯先生、日中からパチンコ屋にいたんですけど、大丈夫なんですか?」

終わってるよね。

でもそんなのはごく一部で、ほとんどの先生はプライベート大丈夫ですか?ってくらいギッチギチに働いて、生徒のために一生懸命動き回っていましたよ。面白い授業をする先生も沢山いたし、人格者だなぁ!と唸るような先生もいた。

だからね、教育の全てを丸っと批判されると「むむむむむ」っと唸りたくなる気持ちもあるのです。気持ちは!気持ちはわかるんですけどね。批判したくなるよなぁって気持ちはわかる!!でもモヤモヤモヤモヤ。

教育現場は、想像以上に疲弊しています。

仕事のできる先生にはどんどん仕事が集まります。やる気と力のある先生には次々に大変な指導案件が回ってきます。給料は仕事じゃなく年齢で決まるので、どんなにやる気を出しても、子どもたちに慕われても、生徒指導案件を解決しても、増えるのは仕事ばかりです。生活は楽になりません。

やる気を出さない&仕事をやらないクソ先生ほど得をしていきます。(小声)

それでも多くの先生は、「そうはなるまい!」と日々仕事に追われているんです。

みんな、なんかとっても疲れています。やる気とやりがいが、ギリギリのところで支えてくれている感じがします。

だから、批判とクレームに心が折れちゃう先生も沢山いるんです。

学校では、どんなに経験のない先生も、大学を卒業したばかりの先生も、プロとして独りで数十人の前に立たなければなりません。新人が独り立ちするまで教育し、見守るようことは、人手が足りなくてできないんです。

教育現場なのに、社員教育は下の下です。

新人は、他の人と同じ仕事と責任を求められながら、初任者研修に追われる日々を過ごします。研修に集中させてやりたくても、何せ人が足りない・・・。どげんかせんといかんですよこれは。

その本質は国が疲弊しているってことなんだろうなぁって感じています。
教育にかけるお金がないんです。国も、国民も。

日本は先進国の中では「相対的貧困率」の高い国です。2015年の調べで15.7%。ひとり親の世帯に関しては50.8%が貧困とされているのだそうです。

15.7%ってすごくないですか?6人に1人です。生活に余裕がない世帯がこれだけある。子どもの教育に力もお金もかけていられません。だから無料である公教育の責任はどんどん重くなるんですね。体感で言うと2022年の今はさらに加速しています。

全てがそうではないですが、生活に余裕のない家庭の子どもは、やっぱり精神的に余裕がないです。これは一見して家庭の問題だけれど、本当は国の問題です。

お金がなかったら、子育てに余裕、なかなか持てないですよ。そして、子どもの心に余裕がなくなると、学校現場はひたすら対応に追われることになります。お金は、必要なんです。

コロナ禍でオンライン教育を!GIGAスクール構想だ!

そんな話も出ていますが、なかなか思うようには進んでいないようです。「新型コロナウィルスの流行から2年以上経っているのに、オンライン授業ができていないのは何事か!」とお怒りの声も聞こえて来ますが、これにも事情があります。

知り合いの学校で、2020年4月の大流行の時期に、オンラインを検討したのだそうです。教育委員会と学校で相談を重ねました。

オンラインでリアルタイムの授業をやれるようにしよう!

→インターネットを引けていない家庭があるので不公平になるからダメ

じゃあ動画で授業配信する?

→インターネットを引けていない家庭があるので不公平になるからダメ

じゃあDVDで授業動画を配布するか!

→DVDなんて今の時代持ってないし、見られる家はほとんどないぜ

結局何もできません。

そうなんです。オンライン授業の背景には、「各家庭が少なくともインターネット通信環境を整えられる生活の余裕があること。」って前提が必要なんですね。もっと言うと「各家庭で端末(タブレットやラップトップ)を用意できるくらいの余裕」が必要になってくるんです。

今、その解決策として、いろんな学校にiPadが配布されています。

学校や教育委員会でで数百台のiPadを管理するのは、正直鬼の所業です。
OSやアプリのアップデートは?故障の対応は?どこでいつ充電するの?盗難されない?
3年も使えばバッテリー死んでいくのに、3年後にまた全台購入できるの?問題は山積みです。

さらに、いまだにWiFi環境が乏しい学校も沢山あります。ここで一句。

iPad ネットがなければ ただの板

あとは・・・先生方の中にはデジタル関係に全く疎い方もいますから、一部のデジタル強い先生に仕事が集中することも安易に想像できます。だって先生方もそんなこと教わってないですからね。セキュリティの問題、フィルタリングの問題。そんなの無理ですよ。

それと並行して、届いた機器をどうやって授業に反映させるのかを学ばねばなりません。
こっちの方が本来の教員の仕事です。

そうなると外部の企業に管理を任せる形になります。

やっぱりお金がかかるんですね。もっともっと教育予算が必要です。人的な配置も!

教育現場は、疲れています。

それでも、私は(そして沢山の先生方は)教育を諦めたくないんです。学校を、諦めたくないんです。そうやって日々頑張ってきました。

学校はまだまだ変われるし、学校には希望がある。

日本の未来を担う子どもたちを育てる場所だもの。

そこに希望がなくてどうするんだ!!!

批判も受け止めるし、頑張るよ。だって教員だもん。

でも応援も欲しいなぁって思っちゃったり。

家庭と地域と一緒に子どもを育てたいなぁと思っちゃったり。

学校だけで育てるのは、やっぱり寂しいし辛いんです。

たまにはそんなことも思っちゃうんです。人間だもの。

敵対するより、一緒に良くして行こうよ。

学校も、家庭も。もちろん国も!

何よりも大切な子どもの教育の話だもの。

学校が希望に溢れる場所にしたい。子どもにとっても、先生にとっても、家庭にとっても。

心より、願います。

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