逃げてもいいんじゃない?手放さなきゃ次はやってこないもの。

逃げてもいいんじゃない?手放さなきゃ次はやってこないもの。

「舞台俳優に、俺はなる!」

そういって北海道を飛び出した男がいる。
カッコ良い顔を持っているわけでもなく、運動神経もからきしで、スタイルはイマイチで、演技力が飛び抜けているわけでもない。ただ声が大きくて、舞台が好きで、笑いをとることに快感を覚えて、そんな時期に三谷幸喜さんの舞台を見て、

「俺の生きる道はこれしかない!」

と思ってしまった。

彼は教員にさえなれば返済不要の奨学金をもらっていたのに、その権利を全て捨てて、教員になることをやめて、東京に飛び出した。周りからの反対もなんのその。思ったことをやらなくて、何が人生だ。そんな若気が至りまくった男。それがあの日の私だ。

至りまくってたな、若気よ。

多くは語らず、「頑張ってこい」と背中を押してくれた両親には感謝しかない。お金もない、実力もない、あるのは情熱だけ。情熱だけなら負けないぜ!そうして舞台俳優を目指す道が始まった。

小さな俳優養成所に入り、ちょっとだけ認められていい気になって、頑張って頑張って頑張って、3年たった頃に、ようやく気がついた。

「あ、こりゃ無理だ。」

私より顔が良くて、演技もできて、動けて、情熱すら上回る。

そんな人たちが山ほどいた。

山ほどいるのに、誰もプロになれていなかった。

これは無理だ。

増える借金。見えぬ未来。大口叩いて北海道を飛び出したにっしー青年は、路頭に迷った。
今更北海道に帰るの?それは嫌だなぁ?でもこのままじゃ。きっと何者にもなれない。
そう確信したのだ。

だから、決めた。

「やめる。」

一緒にプロを目指していた仲間からは「諦めて逃げた」と思われたかもしれない。

だって、諦めて逃げたんだもん。正解者に拍手!

面白いもので、「やめる!」と決めた瞬間に、次の出会いが訪れた。

声優プロダクションの社長に出会い、マネージャー&制作スタッフとして勧誘していただいたのだ。

結果的に大変な会社ではあったけれど・・・声優プロダクションで働いた2年〜3年間は、人生の恩師である「黒田崇矢さん」や、仲間達にも出会えたかけがえのない時間だった。今の自分を支えてくれているのは、この時期の経験であることは間違いない。

「やめる!」と決めていなかったら、出会えなかった。

働き始めて2年が経った頃、社長の横領によって、会社は大きく傾いた。
足掻いて、足掻いて、悩んで、悩んで、悩んで、それでもダメで、
最終的には声優プロダクションを辞めた。

そうしたら次の会社に声がかかった。

新築マンションにシアターシステムを提案している小さな会社だった。お世話になった知り合いのツテで見つけた仕事だったので、できる限り一生懸命働いたが・・・どうにも合わなかった。社長の思想とやり方が、なんとも肌に合わなかった。これは続けていける気がしない。次々に職をやめるのは気が引けたが・・・

真剣に考えた結果、1ヶ月で辞めることにした。私はまた「逃げた」んだ。

次に働いたのは障がい者向けの就職情報誌を扱う会社だった。
障がい者福祉に関心があった私にはピッタリの仕事だと思った。
よし!今度こそこの会社に骨を埋めるぞ!広報担当として日本中の大学を回って歩いた。

出張代は全て建て替えだった。残業代は2時間しか出なかった。

しかし、2時間経っても帰ることはできなかった。

上司が帰ってよしというまでは帰れない。仕事がどんなに終わっていても、
謎のサービス残業をし続けた。来る日も来る日も大学を回っているうちに・・・

あれ?俺がやりたかったのは・・・何だったのだ?と思うようになった。

売上のために日本中を回り、二枚舌で話しまくる私と、
そんな私の話を生徒たちのために真剣に聞く大学の先生たち。

やりたかったのは、向こうじゃない?子供たちのこと、考える側じゃない?

俺何やってんだろ。

だから、辞めた。およそ6ヶ月の勤務。
あっちを辞め、こっちを辞めて、スタート地点の教員に戻ってきたんだ。

実家に戻って教員採用試験の勉強を始めた。アルバイトをしながら、
障がい者サービスのNPOで働きながら、ボランティア団体で活動しながら、
勉強しまくった。

その翌年には合格!!

我ながら大したもんだ。
無事に学校教員になることができた。

そして教員11年目の今年、教員を辞めるための計画を立てている。

教員になってしばらくしたら、次の挑戦がしたくなった。
日本を出て海外で暮らしてみたい。
まだみぬ文化を知りたい!!

だから、日本を離れ、日本人学校での勤務を決めた。
今度は逃げたのではなかったけれど、大きく環境は変わった。
何せフィリピンだ。
文化が全く違う。心配も不安もある。

そして私は、かけがえのない経験と出会と財産を得た。

そして帰国と同時に・・・
教員を辞めて起業した。

まだ、始まったばかりだし、収益も安定していない。
どうにもドキドキするし、ソワソワする。

でも知っているんだ。辞めた先に、次がある。
辞めた経験がたくさんあるからこそ、次に何が始まるのかが想像できるんだ。

本当にしんどい時はね、前向いて辞めるといい。

前を向けるうちに、辞めたほうがいい。

潰されちゃってから前を向くのはしんどいから。

逃げるな!っていう人は、実は逃げたい人だったりするんだよ。

さぁて、次は何をやめようかなぁ。
そうやって人生を考えるのも、面白いもんだよ。

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